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なぜ僕が今リアニメーションを押すのか(前編)

ちょっと今回は、VJ講座的なブログから離れた内容のことを書きたいと思います。 基本自分語りの思い入れだけの文章ですので

長いですし自慰行為だと思って飛ばしてもらって構いません。

僕はこの数年

”リアニメーション”(re:animation) http://reanimation.jp

という「アニクラ」(アニメ楽曲+クラブミュージックの合成語)

のダンスミュージックイベントにVJとして関わっています。

僕のそれまでのVJ経歴や、出演歴からすると「なぜ?」と言われるような方向転換でした。

何しろ見渡す限りの「オラオラ系」や「ギャル男」が埋め尽くすフロアで、ゴリッゴリのサイケデリックVJをカマしてギャーギャー言わせるのがVJ Spike-Bloomの真骨頂みたいなところもありましたから

「今度アニメのイベントで”GAINAX”さんと共同企画をやるんだ」

って言った時の周囲の困惑は半端じゃなかったですw

アニクラに呼ぶお客さんの方は”DJとか知らないしクラブって行ったことない”

知り合いのVJはGAINAXが何の会社だか名前も知らないと

概ねそんな状況下でドタバタと企画を始めたのが2010年末ごろでした。

5年ほど経ってその選択は間違っていなかったと思います。

今年はリアニメーションも大きな節目を迎えて、目に見える形で僕やリアニメーション本部が目指していたものが明らかになってくるタイミングだと思っています。

<アニクラが生まれるまでのレイヴの流れ>

ちょっと話は飛びますが、僕がそれまでの10年で関わって来ていた”レイヴ”の流れを簡単にかいつまんで説明します。

時は60年代のアメリカ

ベトナム戦争や反戦の時流が大きく、日本でも学生紛争などが起こっていた動乱の時代、ニューヨーク郊外のウッドストックで伝説となった音楽フェスが開催されます。

当初1万人から2万人の集客を見込んだ会場に40万人が詰めかけ

その様子は記録映画としても残っています。

ディレクターズカット ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間 [DVD] ワーナーホームビデオ https://www.amazon.co.jp/dp/B0050ICMY4/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_0Tj.ybWMMMVMQ

67年夏から起こっていた「サマーオブラブ」現象を象徴するイベントとして語られる「事件」でした。

そして1980年代

スペインのイビザ島を中心としてこのムーヴメントの再来と言われる「セカンドサマーオブラブ」と呼ばれる

ダンスミュージックの動向が広がります。

これがゲリラ的に広まっていったのがレイヴの始まりです。

大きな違いとしては、ロックからアシッドハウスへ

いわゆる「4つ打ち音楽」への変化で、DJが楽曲を流すというスタイル変化して行きました。

そしてそのアシッドハウスから派生したのがトランスミュージックです。

インドのゴアを中心として栄えたものはゴアトランスと言われて日本の野外レイヴを席巻しました。 僕の多く関わって来たのはサイケデリックトランスとゴアトランス、スオミトランスなどです。 ですので基本、野外レイヴが多くの出演を占めています。

日本では”Rainbow2000”(1997年開催)以降、レイヴスタイルの

音楽イベントがたくさん生まれ、そして商業的に精査されて「音楽フェス」と言われるものが生まれます。

僕の所属していた”M.M.Delight”というVJチームはこのRainbow2000でプレイしていた森田勝を中心とする「元祖レイヴVJ」というVJチームでした。

<日本のシーンは「自由」を”誤訳”した>

上記のようなシーンの流れを見て、一つ確実に言えることは

日本は「海外で流行した音楽ムーヴメントを輸入する」ということを繰り返して来たという事です。

そして誤訳や誤用を「世界で認められたのはこれだ」という一義的な言葉で簡単に伝え

逆に「国内ではこれは通じないよね」という部分を切り落として来ました。

その一番大きなものは「空気感」です。

別の言葉で簡単に言えば「グルーヴ」です。

日本から生まれた音楽ジャンルではTECHNOが代表格ですが

その始祖のYMOが日本のレイヴで人をガンガン踊らせていたという話は聞いたことがありません。

僕は「復活」の東京ドームに行ったのですが、会場内には当然のようにパイプ椅子が並んでいて、立ち上がるのもはばかられる空気でしたw

日本では「コンサート」形式がほんの20年前まで大勢を占めていて「自由に踊る」という事は「空気を読めない異形の客」になるという事でした。

この「空気感」との決別がレイヴでした。

”人間誰しも好きにやっていい”

この自由な感覚こそが、海外からやって来て「お行儀の良いコンサート形式」をぶち壊してくれるはずでした。

ところが、日本人の真面目さが妙な化学変化を起こします。

「海外で流行している形式を、真面目にコピーする」

という形でトランスを流行させます。

「これが世界の最先端だ、言われている通りにやれば間違いがない」

このやり方でメディアも音楽関係者も結託してシーンを”盛り上げ”て行きました。

本人たちはもしかすると悪意も悪気もないのかもしれませんが

「自由に生きている」風のファッションがピックアップされ

「自由に生きている」風の生活様式が選ばれ

「自由に生きている」風のダンスの”振り付け”をみんなで学び

それが「売れるフォーマット」になりました。

結果的にボディコンでジュリアナでセンスを振ったり、

北朝鮮の律動体操のようなパラパラをみんなで同じ動きで踊ったり

僕から見たら「洗脳されてるんじゃないの?」っていうような

珍妙なシーンが生まれちゃいました。

”「自由に生きている」の基本形” から外れたら阻害されるという

末期的な状況です。

そして「クラブやレイヴは不良が行くところだ」という

日本独自の先入観を、これまた真面目にコピーした事で

不良の親分たちがレイヴを乗っ取り

結果的には”オラオラ”と”ギャル男”の抗争が勃発し

レイヴ会場で椅子を投げ合うという地獄絵が展開します。

なんでこんな有様になったんでしょうね。

僕は2006年、M.M.Delightの創始者でVJの師匠である森田勝と

オーストラリアのExodusというパーティーに行ってVJをして来ました。

そこで見た「自由」な光景は

あのウッドストックのDVDで見た光景そのままで

水浴びをする天使のような女の子や

腰まである白髪のドレッドヘアーを振り乱して踊る元祖ヒッピー世代

そして最高の音楽を作り続けて発信する本物のレイヴァーたちでした。

日本に帰って来て心底実感したのは

「この島国は本当に田舎の1地方でしかなかった」

という残念な現実と

”これが自由な音楽だ”と言われて信じ込んでいた

その有様自体が伝聞で誤読だったという事実だったのです。

世界は思っていたよりも広大で

規範もルールも制約も

自分で決めた外に更に広く広く広がっていました。

<恩師との別れ>

2010年、森田勝が癌で急逝しました。

「スイッチを押せ」というのが彼から僕に送られた言葉でした。

そしてその技術とVJの秘伝のようなもの一式が渡されました。

「大嵐が来るから準備を怠るな」とオーストラリアで言われていました。

基本、なんのことやらよくわかりません。

「自分にできる”スイッチを押す”という事は何なのか?」

これを何度も自問自答して

ぶっつぶれて

本当にわけがわからなくなった時に、不意に思い出したのが

10代の時につるんで居たコミケ同人の仲間との珍道中や

「トップをねらえ!」で大ハマりしたGAINAXのアニメでした。

10代は完全にオタクだったなぁ

「そう言えば、GAINAXが作ってたグレンラガンって見てなかったなぁ」

何の気なしに見始めたアニメから

スイッチが

ガチャ

っと回る音がしました。

<続く>


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